ウォッシャブル全裸

this is my life

‪天才東大医学生がテレビで、苦手な科目を尋ねられ、「美術」と答えていた。

曰く、絵を描く必要がなかったから、だと言う。


必要がないからやらない。そりゃそうだ。人間の人生において、芸術が生存の役に立つ日なんて10000000年先の未来にも来ないだろう。多少のイラストの技術が何らかの分野においてごく一部の役に立つ事はあるかもしれないが、素っ裸で無人島に放り出されたら絵など描けたところでどうしようもない。ある程度、人間の生存と安定した社会地位が確立された時、はじめて芸術は「あったらいいな」程度の役に立つのである。

断言できるが、芸術家を志す人間より東大医学生の方が社会において役に立つ。


私は思う。

私は短い人生において大小様々にしろ大量の絵を描いたが、必要があって描いた絵などほんの数%にすぎない。それも「中学校の遠足のしおりの絵」や、「友達にリクエストされた絵」など、極端に言ってしまえばどれもこれも必要のない絵だ。前述した通り、絵は人生において必須事項ではない。数学や物理、英語や国語の方がよっぽど必須事項であることは、中学高校の時間割を見ても明らかである。


じゃあ何で絵描きは絵を描いてんだ、と疑問に思うだろう。


結論から言えば、そんなのこっちが聞きたいくらいだ。なんで私たちは絵を描いている?必要もないのに?社会において全く役に立たないのに?何時間費やしたと思っている、こんな必要もないものに。


この思考を続けていけば、答えはこうだ。絵描きは呪われている。以上である。

勉強よりも絵が楽しく、必要のないものを延々と量産し続ける。神絵師と呼ばれるほど上手ければ何かしら金銭的に役立つものはあるだろうが、絵描き全員が天才ではない。いわば、絵描きは社会的に必要のないものを生産し続ける呪いにかけられたどうしようもない人間なのだ。



だが私は言いたい。絵を描く必要がないと思う人生は、なんてつまらないのだろう。

絵は役に立つかどうかで判断すれば絶対に役に立たない部類のものだ。医学と美術、どちらが生存にかかわるかと言えば医学だし、美術ができないからといって人間は死ななし、とても貧乏になるわけでもない。むしろ絵を描く人間の方が大多数が貧乏だ。


だが役に立つものだけで出来た社会は余分がなく苦しすぎる。表現したいものも無い、描きたいものも無い、記録なら写真が全部担ってくれる。私にはそんな人生は生きることすら難しい。食事をし、睡眠をし、排泄をし、社会の一員となって労働し、必要なものだけを勉強する人生。想像しただけでゾッとする。

要するに、必要があるから絵を描く人間などごく少数だ。それに、「必要だから絵を描く人間」も最初から誰かに求められて描いたわけではない。描きたい、というのは極めて自発的な欲求で、それが他の世界に影響を及ぼすことは少ない。



だが更に思考してみよう。

医学生にとっては、美術は必要ない。だが私にとっては、美術は必要だ。

これはそれだけの話で、前述した私の美術に対する熱意を医学生にぶつけたところで迷惑以外の何物でもない。同様に、医学生に勉強の大切さを熱心に語られたところで、私には無用の言葉だ。私とあの天才医学生には現状何の接点もないが、いずれ何かの偶然で出会ったとしても私たちはお互い別世界の生き物である。

「美術が必要な人間もいるが、必要としていない人間もいる」という、本当に身もふたもない話になった。


あの天才をテレビで見て良かった。遠すぎる価値観の人間とは、超えられない次元の壁越しに見るのが一番だ。