ウォッシャブル全裸

this is my life

星野源と、おっぱいについて

 

 

 

世の中には、星野源の事が嫌いな人間もいると聞く。

だが私は全く嫌いだとは思わない。なぜなら彼の「おっぱい」というエッセイは最高だったからだ。可憐な少女諸君は、「男がおっぱいおっぱい言うなんてフケツ」と彼を疎み、気品溢れる紳士淑女におかれましては「はしたないしフケツ」などとお嫌いになるかもしれないが、むしろおっぱいおっぱい言わない男の方が危険である。人間はみんなおっぱいの事を考えているにも関わらず、それを隠し、多種多様な文句をつまびらかに披露し、あの手この手でさりげなくおっぱいを触る段階にまで持ち込もうと画策する。

これは危険である。自分の欲望に対して深い思慮を巡らすことのできない人間ほど、こういう上っ面の人間に惑わされる。

 

おっぱいが好き、おっぱいに触りたい、おっぱいを見たい、これらの何がいけないのだろうか?

私は決して性犯罪者の肩を持ちたいのではない。おっぱいが好きだからといって、見知らぬ女性のおっぱいを勝手に触るのは紛れもなく犯罪だし、許されることではない。むしろそれは「おっぱいが好き!」と言っている人間が、最もしてはいけない事である。

あなたが、「おっぱいが好き」ならば、おっぱいに対して敬意を払わなければならないだろう。おっぱいに勝手に触るなどもっての外だ。

星野源はエッセイの中で、きちんとおっぱいに対して敬意を払っている。太古の昔から現在に至るまで女性の乳房は豊穣の象徴であり、力士の貫録はあの堂々とした胸にあるのだ、というようなことを述べている。

 

現代においては、性的趣向をあけっぴろげにすることを嫌う風潮があるが、これはよくない。おっぱいが好きなら好きと言えばよろしい。その結果他人にどう思われようと、星野源は間違いなくおっぱいと唱えることで元気をもらってきた。それを気持ち悪いとかフケツなどと言う人間は、無視をするのが一番である。

 

おっぱいについて熱く語っていたら、友達と焼き肉を食べに行く時間になってしまった。焼き肉大好き。